ZOOM講座2
龍谷大学「心の講座」元京大総長 山極壽一氏の講義(2021.5.29)
「新型コロナの時代を生き抜くために ―人間社会の由来と未来を考える―」
氏の話はテレビで聞いたことがあり、面白い、興味を惹く内容だろうと予想して
いた。予想通りの内容、スライドを用いた濃密である講義内容を全紹介すること
は不可能、内容の一部を紹介。氏は40年間、ゴリラのフィールドワーク研究。
ゴリラは熱帯雨林に住み、棲息地域は赤道下のアフリカの一部域のみに住む。
類人猿は200万年前に脳の容量の増大(石器使用)が起きた。言葉の発明と脳
の増大に関係は無く、増大と共に話し始めるとも関係はない。社会規模の増大、
集団生活と共に大きくなっている。この時期にアフリカ大陸から脱して5大陸に
移動し始めた。12000年前の農耕牧畜社会の世界人口はまだ約500万人。
現在、人類は78億人、家畜の牛15億頭、鶏500億羽等、地球上のほ乳類の
人間と家畜で90%を占める。野生の象62万頭、チンパンジー30万匹等々。
プラネタリ-・バウンダリーの9つある指標の3つは地球限界値を超えている。
地球はウィルス、微生物の惑星。アフリカでエボラ出血熱が起きた。その原因は
コウモリの持つウィルスがゴリラに感染。コウモリは夜行性で有り、本来は接触
の機会はない。人間による森林伐採から共通の食べ物のフルーツを求めて接触が
おき感染、感染したゴリラの肉が流出した。伐採に伴い現金経済が入り、伐採の
終了で生活の糧は野生動物の狩猟へ、伐採運搬道を通して獲物は運ばれた。
エボラ出血熱は致死率80%、コロナは2%、致死率が低いから感染が広がる。
先ほどの脳の増大化、ダンバー仮説によると集団が増えると脳が増大する?!
300万年前 10~20人集団
200万年前 30~50人・・・・・ホモサピエンス
50万年前 100~150人・・・ピグミー、ブッシュマン
150人集団がポイント・・・信頼できる仲間、顔と名前が一致(例:年賀状)
現代社会では、
10~15人・・・サッカー、ラグビー、バレー
言葉間に合わず、表情、合図、感性で動く。
30~50人・・・学校クラス、軍隊、布教活動、職場の単位
一致して動ける、顔と性格熟知
猿と類人猿の違い・・・チンパンジー、近くでジッ相手を見つめる。
人間・・・ゴリラより距離をとり1m程度距離を置き見つめる。
見つめる、目の表情から相手の気持ちを掴む。何故なら人間には白目があるから
共感能力を高めることが出来る。目は口ほどに物を言う。
ー 省略 ー
終盤はシェアとコモンズを目指す話。医療は国民皆保険、教育は授業の無償化、
交通は高齢者無料化にカーシェア。シェアハウス(全国840万戸の空き家)や
衣料のシェアを目指す。テレワーク、インターネットはシェアの舞台、社会は
遊・動(身軽)に向かっておりシェアとコモンズを増やす。仕事も兼業、副業を
認め、終身雇用契約の崩壊、単線型人生から複線型人生(趣味も仕事も遊びも学
びも同時並行)。お金よりも暮らしを優先、贅沢よりも安全優先。所有よりも行
為に価値を見出す自己主張の時代。Youtube、facebook、twitter、instagram、
HP、blogなどのSNS全盛。所有物の誇示ではなく自らした事、行為を発信して
いる。高級マンション、高級車所有等の社会的地位の誇示からの価値感の変化。
日本は人口が減少し経済の成長も期待できず、地球環境も限界値を迎えている。
経済も消費経済から交換(メルカリ等)、贈与経済のシェアエコノミーに向かう
のではないか? 政府の一部が言っている、
⇒ 公共財(コモンズ)を増やすことによるベーシックインカムを目指す?
日本は高度成長期の頃、金(税金)をばらまいた。橋や道路、鉄道の公共事業で
景気を刺激する。低成長下では北欧の福祉国家のように金を公共財の充実に充て
コモンズを増やす。遊・動でシェアをコモンズを利用し、所有物を無くし身軽に。
濃密な講義内容、その20%程度を紹介しました。後半は人間社会の今後の危機
と問題点、文化の重要性、コロナ後の社会が進むであろう方向(上記)を予測。
*参考:文化的多様性に関する世界宣言(2001年)(第1条が重要という)
*備考 「つぶやき ⇒ 一言 充実の一日 2021.5.30記事と関連」
所感)
氏は総合地球環境学研究所所長でもある。
小生は以前からベーシックインカムは己にあった人生が送れる良い福祉制度だなと思って
いた。今の資本主義制度は資源多消費、自然環境破壊等地球環境を壊し、貧富の格差も拡
大、いろいろ矛盾点、問題点も多い。インカムであればこれらの矛盾点も改善され、犯罪
の発生率も下がるだろう。何より自らの人生を型にはまった単線型から自らが自由度の高
い人生設計ができる複線型が魅力の面白い制度。自己責任が求められるが、自らには合っ
ている、欲張り過ぎなければ。インターネット環境下のデジタル社会だからできる遊・動
の生活設計。晩年はこのような自由な生活を謳歌している、また一寸だけ働こうかなと。
だが我が人生は晩年期、同制度はまだ構想案の前段階、手遅れ、とても早く生まれ過ぎた。