70年ぶりご開帳

春に湖南三山を訪れ、秋には東近江市のお寺を訪れる計画に従い、70年ぶり、
50年ぶりご開帳の東近江市の二寺を訪れた。前夜、NHKの滋賀のローカル
ニュースでこれらの寺を紹介していた。15年ほど前まで長き住み、生まれ育っ
た地である東近江市。訪れるお寺は70年ぶりご開帳の石馬寺、50年ぶりご開
帳の瓦屋禅寺。互いの距離は車で10分ほどの近き距離にある。石馬寺は小さき
頃、遠足で行ったことがあるような記憶。瓦屋禅寺は今回初めて知ったお寺。
彦根から来る妙子さんと能登川で待ち合わせ。10時半に落ち合い、彼女の車を
能登川テニスコートに置いて出発。きぬがさ街道のトンネルを抜けると石馬寺。
先ずその先10分余の瓦屋禅寺に向かう。小さな駐車場に既に車が1台停まって
いる。下車し、案内板を見ると、本堂まで1000段の石段とあり精神的疲労。
登り口には竹製の杖が置いてある。拝借し、利用する。少し登ると金属製のフェ
ンスが行く手を防ぐ。猪防止フェンス、開閉して通過。古き階段、石畳が結構崩
れており、少し登りにくい。昔、人力で築造したのであろう、大変な作業であっ
たであろうと言いながら登っていく。脇にはいくつかの古墳の看板、洞穴が見え
、首塚、お地蔵さんを祭っている。3分目、5分目と確認しながら1000段を
登り切った。途中、下山する4~5人と会うも少ない参拝客?!

太子腰掛け石 で一休み
瓦屋禅寺本堂

日頃のテニスのお陰で余裕をもって登り切れた。と、暫く行くと住職が乗るので
あろう車が駐車。山頂、本堂まで車で来られるのだ。本堂に行き、70年ぶりの
十一面千手千眼観世音菩薩像を拝顔。2人の作務衣上着を着たボランティアが説
明する。掌の平に眼があるそうだ。小さな掌、全部で千あるという。その説明員
、小生の顔を見て、何処かで見たようだ、と言う。小生も何処かで見たような。
元会社仲間、会話した記憶は無いが仲間職場、覚えている。同僚の話へと脱線。
このお寺、西沢の姓の寄進、寄付が突出してとても多い。次に多いのが大谷。
彼の姓は大谷、信徒、檀家である。初めて訪れたお寺、ゆっくり観て回った。
拝観料は何処で支払うのであろうと。徴収場所の配置が悪いのだ。階段を上りき
った位置にあるべきだ。再び1000段の階段を下る。妙子さんの脚力に感心。
住職の家族一家が住み、なかなか良い印象のお寺だ。初めて知った隠れたお寺。
 次に石馬寺に向かう。特別駐車場に車を置き、向かう。境内入り口には参拝者
の車が停まっている。車に隠れて目立たないが、山門入り口に深い池がある。観
光客は見逃しているが、この池の中に太子の馬がいる。石となった馬が観える。

石となった馬
参道階段、石垣

再び、階段を約350段上る。途中、石垣が目立つ。建物があったであろう石垣
、宿坊であったようだ。埼玉県出身の住職の話では信長の焼き討ちに遭い、一部
の仏像を含め、消失したという。70年に一度の御開帳、ご本尊は十一面千手観
世音菩薩像、背丈60~70センチ程の小さな黒い菩薩像、遠くからはっきり見
えない。徳川家ゆかりのお寺でもある。繖(きぬがさ)山の山麓にある石馬寺。
ご住職に進言した。宿坊の石垣など、訪れた者には大きな礎石、石垣が目立つ。
説明の一文表記を提案。歴史に興味、親しみも深まるだろうと。詳しい事は解り
ませんので、と駒澤大卒業で埼玉県出身の住職は言う。これら二つのお寺は臨済
宗妙心寺派。寺に多く安置する仏像は平安、鎌倉時代の作。小生が生まれ育った
地は歴史に刻まれた文化財、寺が多く存在する。その代表は安土城。
児童期に遊んだ繖山一帯は聖徳太子ゆかりの地でもあると再認識。

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