親父のメモ

なかなか捗らない終活、気が向けば時折整理整頓をしている。書類の整理には時
間がかかる、目を通すから。便箋に1枚の古いメモ書きを発見。親父の自筆メモ
、倒れた当時の様子を記している。何時書いた?!しかし、病状からしてよく覚
えていたものだ。恐らく自を確認する、自意識を確認するために書いたのではな
かろうか?! 見舞客20名は多すぎる?! が内容は概ね間違っていない。
時刻は23時頃だったと記憶している。テレビを観ていると突然、親父が目の前
に転がり込んだ。喘息のようなとても苦しむ症状。何が起きたのか分からず慌て
る。救急車の前に地元の病院に連絡。が、今、少年が亡くなったから受け入れら
れないと迷っている。交渉の末、連れて来てくださいとなった。車に載せてお袋
と病院に向かおうとするも、グッタリし重くて車に載せるのも大変。数分で病院
に着。全く意識がない。今夜が生死の分かれ目と告げられる。そして深夜だが親
父の兄弟に即連絡した。その後に意識は戻るも薬害性肝炎でも苦しんだ。
退院後の7~8月頃に様子に変化が起きた。茶碗をしっかり持てない。脳梗塞に
進行。それから半身不随になり寝込んだ。自分の身体を意思通りにできない状態
に気が動転し、暴れもした。町の福祉課で介護ベッドを借り、車椅子を購入。
お袋も介護に疲れた。通院で定期診察へ。腕からの採血困難で足から採血、だが
針を刺すと周りが紫色に変化した。血管がもろく漏れた血液が充満したから。
病院のベッド脇の床上で寝たこともあった。水の落ちる音、親父の失禁である。
食事の世話もした。喉を詰まらせる恐れがあるから病院は食事の給餌をしてくれ
ない。ベビーフードも買い入れ、与えた。 我看護士也。もし独居なら孤独死。
同事件、1997年3月9日と記憶。98年11月に亡くなった。享年85歳。

*親父自筆メモ
『去る3月9日私の先輩93歳のFさんの葬式の見送りに行きました。寒い日で
した。そしていつもの通り夕食に一杯飲んで6時過ぎ寝ました。夜12時過ぎ、
俄かに気分が悪くなり、苦しくなり、これは大変と息子が能登川病院に送りつけ
てくれました。目が覚めると近くの親戚の方が皆んな見舞いに見えてます。
心筋梗塞そうで危篤と聞きビックリ。マスクをさせられています。
苦しいのでマスクを取ってしまいます。両手を寝台にくくりつけられました。
それから点滴、絶対安静、気が付けば近くの親戚の方が約20名、みんな心配顔
で見守っています。大便小便もみんな管で身動きもできません。
約10日間、点滴が続きました。昼夜を問わず1日24時間点滴です。
その間、身動きもできません。苦しい日が続きます。
25日、京都、大阪、草津、名古屋等の知人(親戚)が見舞いに来てくれます。
もうこれでお別れと思うと涙が出ました。4月になって初めてお粥に切り替えら
れました。その美味しかったことは忘れられません。1週間後にご飯が食べられ
るようになりました。そして大小便に通えるようになりました。』

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