鏡餅リレー

昨年も今年も固く辞退していたが、それを無視して彼女は己の意を貫いた。
我が家の鏡餅を年末から年始にいつも持参する。今年はコロナ禍、餅屋が作った
この鏡餅を二揃え送るという、出来る30日に。コロナウィルスにとても怖れて
いる。大事な人に移さないためだといういつもの口実。半信半疑だが。
では30日にもらいに出掛けると返事。但し、降雪恐れが無いことが条件。
ウォーキングで裏山に登ると裏白を沢山見付けた。今年はこの飾りの裏白を持っ
て行こう、そして預かり、調整を終えたパソコンを返そう、その後、墓参りをし
よう、その帰りに20日に亡くなった叔父さんのご仏前にお参りしよう、という
仕事を設定。その決行判断は当日朝の天気で決めることにした、降雪予報が出て
いたから。朝、Goと決断。待ち合わせ場所は能登川のホームセンター、カーマ
の駐車場13時30分。が、互いに早く到着。ここでパソコンと裏白等を渡し、
出来たての鏡餅、おせち料理、お酒等を受け取る。おせち料理も辞退していたが
やはり持参した。カーマで仏花を買い求め、一人で墓地に向かう。
墓を掃除し、仏花を供え、線香、蝋燭の段階で冷たい雨が降ってきたから早々に
退散。叔父さんの家に向かうことにした。と、電話が入った、いつ頃来られます
か?!と次男から。20分ほどで到着しますと返事。10年以上のご無沙汰。
周りは田畑であったが、多くの住宅が立ち並ぶ変化。しかし、その家も空き家が
多いという。92歳、老衰で亡くなった。以前、杖をつかなければ歩けないと聞
いていた。そのような衰えた姿は見たくないとの思いで足が遠のいていた。
が、心筋梗塞を患い、デイサービスを利用していたようだ。6男3女の9人兄弟
の3男、朗らかで場を明るくする叔父さんだった。お世話になった。
昔の明るく、元気で賑やかな姿が思い出される。歳の順番というものの寂しいも
のだ。こうして帰途に就く帰りは国道走行、思ったより道が空いている。
途中、何時もの平和堂に寄り、買い物リストに従い食料品を買い付ける。
17時前、我が家に帰着。降雪間近の予感。酒肴や多くの食料品を整理している

おしながき 36種

とピンポ~ン。再配の冷凍便のおせち料理が届いた。注文した?!注文した覚え
?!は無い?!依頼主は誰?!主はおせちの製造会社。元の依頼者は誰?!
予感、もしや妹か?!電話で確認するも直ぐに切れる。LINEで「妙子さんと
二人でどうぞどうぞ」と返信が来た。しかし、おせち料理を受け取り、買い求め、
その上、豪華なおせち料理の宅配便が届いた。肴の心配は無いが食べきれない。
この一年余、家族共々世話になったから思い付いたのであろう。 しかし、飽食、
多くの食が重なったワィ。この食以外の正月本格準備は、晦日午後から2時間也。

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