二大独裁国家の行方

購読する新聞に連日載った二つの記事を紹介。

     見出し: 侵略の背景と「第2のプーチン」

ロシア・ウクライナ戦争に関し、その背景を考えたい。露の侵略と西側の関わり
も述べ、最後に露の行方を考える。
        <中 略>
「ソ連崩壊後、80万の宇軍は最新兵器で武装され、戦車は6100代以上、軍
用機は1100機を有し、700以上の軍産複合体があらゆる兵器生産をする世
界4位の軍事大国だった」(露「独立新聞」14年4月18日)
では、なぜ14年に宇軍は無抵抗で投降し、露は「戦わずして勝った」のか。
以下も露の軍事専門家の言だ。「ソ連崩壊後、宇政府は軍事費を計上せず新武器
も開発しなかった。07年から6年間に約10億ルーブルが計上されたが、この資
金は全て着服された。宇軍の崩壊には酷い腐敗・汚職と国家の麻痺がある。
つまり軍とその演習システムは崩壊し、士気は全く低下した」
今日の宇国民の高い士気と正反対の状況だが、新興財閥と密着した宇政権や軍の
腐敗は事実だった。宇は主権国家の体をなしていなかった。皮肉だが、昨年2月
の露の侵略の「おかけで」、宇は初めて主権国家として結束し、「国民」が生ま
れ、その士気に世界が驚嘆したのだ。ナチスのソ連侵攻(1941年)が、初めて
「ソ連国民」を生んだのと同じである。
次に西側の責任に関して考えたい。以下、宇の核放棄問題とNATOの拡大問題
について。 1994年の「ブダペスト覚書」で、米・英と露は、宇に対し国家主権
と独立、領土保全を保証し、代わりに核兵器の放棄と核拡散防止条約への加入を
求め、宇はそれに応じた。宇が当時保有していた核の10%でも有れば、その後の
事態は生じなかっだろう。94年当時、米側の当事者だったクリントン元大統領は
この覚書について最近、「宇が核保有国だったなら、露の侵攻はなかった。
宇は核兵器が領土拡張主義の露から自国を守る唯一の手段とみていたが、私か同
意させた。今は、核放棄を促したことを後悔している」と述べた(共同通信4月)
        <中 略>
プーチン政権がいつ、いかに終焉するか予測はできない。古来、露は国家も諸組
織も、法治ではなく露語の「手動統治」、即ち人治の社会だ。皆が法や規則は潜
り抜けるので、強力な統制者がいないと治まらない。また上から下まで、職位は
利権、つまり縁故社会だ。このような社会の性格は数十年単位では変わらない。
結局、遅かれ早かれ「第2のプーチン」が現れるだろう。

     見出し: ロシアの極東地域を狙う中国

ロシア崩壊論、ロシア解体論が世界各地から現れ出した今、プーチン大統領の盟
友であるはずの習近平主席の中国は静かに「歴史への復讐」を始めている。
その実例を見てみよう。
まずロシアの極東地域の地名に関する表記の変化である。中国で地図は国家の主
権を具現するツールとして重視されており、刊行を管轄しているのは政府機関の
の一つ、自然資源部(省)である。その自然資源部は今年2月14日に「公開地
図内容表示規範」を改定し、第14条規定でロシア領極東地域の8ヶ所の地名に
対し、清朝時代の旧名を中国名として地図上で併記するよう義務付けている。
ている。具体的には以下の8ヶ所である。
ウラジオストク ②ウスリースク ③ハバロフスク ④ブラゴベシチェンスク
サハリン ⑥ネルチンスク ⑦ニコラエフスク ⑧スタノボイ山脈
サハリンを除いては1860年に締結された「北京条約」により、清朝から帝政ロ
シアに割譲された地域内にある。アヘン戦争などで清朝が英国とフランスに連敗
した際に、ロシアは調停を買って出た。弱った清朝に付け入り、広大な「我国の
領土」が取られた歴史を現代中国はずっと、「百年の屈辱」の一つとして認識し
ている。
        <中 略>
1970年ごろの北京当局にるソ連批判では、清朝時代の地名を用いていないのが、
特徴的である。イデオロギーをめぐる対立が最も激しかった時の中国にはソ連に
対抗する実力はなかったし、「不平等」な「北京条約」でも国際法上は有効であ
るので、領土の返還を要求することは一度もなかった。英国に対して、香港の返
還を求めたのと対照的である。ウクライナ侵略戦争でロシアが勝っても負けても
、中国は漁夫の利を得ることになる。既にシベリアに不法滞在している中国人は
150万人を超えると推算されているし、極東地域と隣接する東北三省には億を
超える中国人が暮らしている。人口を最大の武器とする中国が失地回復という大
義名分を掲げて極東地域に侵入する為の前哨戦として、地名の改編が始まったの
であろう。

侵略の背景と「第2のプーチン」  袴田 茂樹 教授 2023.6.7 新聞記事
ロシアの極東地域を狙う中国    楊 海英 教授 2023.6.8 新聞記事

                            2023.6.8

自分史を書く

今年は市民相談を二つ利用した。一つは「法律相談」もう一つは「税金相談」。
法律相談は娘の問題。相談の焦点が少しぼやけたが、まぁ、我が人生相談。
小生と同歳の相談員は自分の30代後半の娘を引き合いに、まだ子供ですよとい
う。同感と頷きつつも納得出来る内容ではなかったが、第三者に打ち明けて何故
かスッキリ。二つ目の税金相談は全く役に立たず。
今日の新聞記事の切り抜きである。執筆者は渡辺利夫氏。執筆メンバーであり、
毎回、その記事は我が印象に残る。今回の人生体験内容例に我が人生トラブル原
因とも部分的に重なる。 その内容を以下に紹介。

『ある年齢になったら自分史を書いてみる。貴重なことだと私は考えます。文章
というのは不思議なものです。さまざまな人生経験について、あれやこれやと思
いを巡らせてもその像はぼんやりしたむのですが、これを文章化しますと、連想
が連想を呼んで次々と”新しい過去”が再現されてきます。私は新聞社などの主催
する作文・論文コンテストの審査員をいくつか務めてきました。授賞式の挨拶で
は、次のようなことを生徒や学生に伝えています。

 文章化することの意味

”若い世代の君たちも、家庭、学校、海外研修、地域活動、その他さまざまな場で
いろんな経験を積んでこられました。しかし、それらもこれを文章化しないと人
生のささやかな経験としてほとんどが忘れ去られていきます。経験は文章化する
ことにより初めて「経験知」となり、これが一つの確かなブロックとなります。
別の経験を文章化してもう一つのブロックができあがります。いくつものブロッ
クを積みあげていくと、簡単には崩れない経験知の塊ができます。
その塊の大きさが、人間が成長したことの証しです。さまざまな経験を、本当に
自分自身の人生にとってかけがえのないものとするには、文章化が必要です”
 人間は喜怒哀楽、さまざまな感情の中を生きています。踊りあがらんばかりの
喜びに沸くこともありましょうが、胸を塞がれて身動きもできないほどの絶望に
陥ることもある。遠い過去のものであっても辛い経験であれば、これが「心的外
傷」となり人間を襖悩させることがあります。過去の手ひどい経験が「フラッシ
ュバック」(心的外傷後ストレス障害)を引き起こし、物事に集中できなくなっ
たり眠れなくなったりして感情をうまくコントロールできない。
 コロナ禍の中で不安障害や強迫観念に悩まされた人々も少なくありません。
普通の人生を送っている人でも「どうしてあんなことをしてしまったのか」と、
小さなことでもぐずぐずと悩むものです。そして、そんな自分が嫌になる、受け
入れられない、という気分にさせられる。「否定的自我」といえば何やら面倒な
表現ですが、そういうことです。 


「悶々」感情から解放され

過去の体験についてはこれを文章化してみてはどうでしょうか。
文章化とは自分を「客体化」することです。「悶々」の感情を文章化してしまえ
ば、書いた人はもうこの悶々を平静にみつめてそこから解放され、「否定的自我
」から「肯定的自我」へと変じていくことができます。
「人生量」という言葉はありませんが、私はあってもいいと思うのです。一人の
人間が生涯を通じてどのくらいの量の人生を送ったのか、ということです。
おそらく人間が一生の間にどのくらいの量の感情を抱いたか。この量が多い人ほ
ど、その人生は豊かなものだと思うのです。「人生量」が「感情量」によって測
られるとすれば、それは文章化された「感情表現量」によってだと思います。
 文章化された自分は、実はもう自分そのものではありません。自分の顔は自分
ではみえませんよね。鏡という自分ではない他者に映しだしてみなければ自分の
顔はわかりません。鏡に映しだされた自分は本当の自分ではないのですが、それ
なくしては自分かどんな顔をした人間かがわからない。
 私たちは、他者が自分をどう認識し、評価し、対応してくれるのか、この他者
の認識と評価と対応に応じて、自分とはこういう存在なのだと悟らされ、そうし
て社会生活を送っているのです。私どもは社会生活の中で自己を形成し続ける存
在です。自己は自己を通じて直接的に確認されるのではありません。自己は他者
の目の中に宿る自己を間接的に確認しながら形成されていくものです。

 他者の目に映る自己

 人生における最初の他者が家族です。この他者に映る自己は、その後の私ども
を待ち受ける、多分に緊張を要する人為的な人間関係に比べてはるかに深い愛に
満ちたものです。「受容的」なものです。家族という他者の目に映る自己が受容
的であることを確認し、私どもは「肯定的な自我」を形成していきます。
家族関係がスムーズにいかず、緊張を孕むものであったりすると、「否定的な自
我」が形成され、その後の人生の過程でさまざまな心理的葛藤に悩まされことに
もなりかねません。高校や大学を卒業して企業、団体などの組織で働くようにな
れば、そこで取り結ぶ人間関係は一段と錯綜したものとなります。
そうした人間関係の中でも、他者の目に自分がどう映じているかを確認しながら
、人生の船を漕いでいかなければなりません。きわめて多様な他者の目の中に投
影される自己を確認しながら、自己の他者への対応を変化させ、自我を確かなも
のとして形成していこうではありませんか。以上の話は奉職している大学の卒業
式で語ったものの一部ですが、若者に対しての私なりのエールです。』
                              2022.12.22

 拓殖大学顧問   渡辺 利夫(わたなべ としお)

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