南米の旅

4年越しの南米の旅に出発。4月10日~19日10日間の久し振りの海外旅。
訪れる主要観光地はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ国境に位置するイグア
スの滝
とペルーのマチュピチュ遺跡、それにペルーのクスコ市街の世界遺産。
同旅行、2000年4月に行く予定であったが、コロナ禍になり急遽キャンセル
の経緯がある。昨年12月にツアー旅を申し込んだ当初は9日間の旅。が、2月
になり、航空会社の都合で日程変更の連絡が入り、10日間の旅に変更された。
1日目:大阪空港~成田空港(前泊)への移動日。
11日のメキシコシティ空港への出発時刻が2時間余り早まり、成田で前泊する
ことに。大阪空港から羽田空港に飛び、羽田からシャトルバスで湾岸線を走り、
成田空港近くのレストハウスで前泊することに。が、バスに乗って移動している
とツアー会社からスマホに連絡が入った。明日の成田空港集合時刻は+4時間後
にしますという。アエロメヒコ航空の運航遅れによるもの。何のために前泊す
るのか。結局、当日11日の9時半出発時刻は更に遅れ、17時半になった。
その待ち時間は空港内で過ごすしかない。昼食代はメヒコ航空から食券が出た。
空港内で江戸前寿司を2人で食する。それにしても成田空港、日本一の大きな
空港だ。今回のツアー旅、お一人様限定と謳った旅、参加者は夫婦1組を含む
3組の計21名が参加、男7名、女14名。最高齢は79歳の女性。
メキシコシティ空港までの飛行距離は約14000km、所要時間は15時間。
当初計画ではメキシコシティ空港着後、13時間余の乗り継ぎ時間があり、ホテ
ルで休憩となっていたが、9時間の出発遅れで4時間余を空港内で過ごすことに
。その後、サンパウロに向け、6時間余の飛行時間で飛び立つことになった。
狭い機内の15時間飛行+待ち時間、6時間余の飛行の移動で疲れる。メキシコ
との時差は9時間、サンパウロとの時差は12時間。日本とは昼と夜の逆転現
象、日本で寝ている時刻に活動、活動している時刻に睡眠となる。
3~4日経過して何処で寝たのだろうと思うほどに睡眠、寝たという自覚が全く
ない。そして時間外れの食事、しかし、現地時刻の行動に従うしかなく体調も狂
う。今回の旅、主治医の了解を得た、決定後に。4月から旅に出ますと。驚いて
いた、現地の治安面を。既に翌5月は抗癌剤治療が予定されている。本来、自身
の免疫細胞の活性化に努めて抗がん効果を高めなければならないが、身体が疲れ
る、良くないことだ。最後の海外旅にならぬことを祈る。
2、3日目:11日~12日は成田空港からメキシコシティー(飛行15時間)
、サンパウロ(飛行6時間)経由のイグアス(飛行2時間)まで移動。時差は
9~12時間で昼夜逆転に。メキシコシティ行きの機中泊の着後、+待ち時間、
次にサンパウロ空港へ。空港からバスで移動中の窓辺から辺りを観察。多くの電
柱が少し傾いている。電線、通信?!ケーブルが蜘蛛の巣のように乱雑に張って
いる。そして地面、土がレンガのように赤い。2時間後、空路で約2時間のイグ
アス空港に向かう。夕刻、バス移動でイグアスのホテル着。
やっとベッドで寝ることになったが時差で十分に眠れず、目が覚める。
4日目:13日、イグアスの滝に向かう。ホテルを7時30分に出て発車した車
内でパスポートを集めますという。が、前日準備し、持参した筈のパスポートが
無い。バスはUターン、一目散でホテルの15階の部屋に駆け込み、駆け足でバ
スに戻るや、開口一番「誠に申し訳ありません」と全員に向かって謝った。
20分余の時間ロスのチョンボ。アルゼンチン国境に向かう。アルゼンチン側か
イグアスの滝を間近に観る。滝を近くで観るために観覧用の架橋(歩道)が設

アルゼンチン側、トロッコ電車で滝に向かう

置してある。今回、「悪魔ののど笛」という最も豪華な滝を観ることは出来なか
った。洪水でこの観覧用架橋が流されたため。こういう洪水被害は良くあること

     ボートツアー風景も写る
     アルゼンチン側

で修復工事の繰り返しという。その流された残滓も残っている。滝の水源、水量
は熱帯雨林の降雨と湧き水。大きく豪華な滝である。
次に国境の橋を通ってブラジル側に戻り、滝の遠景を架橋歩道を巡り鑑賞する。
そして次は滝を間近で観るボートツアー。簡易更衣室で着替え、合羽を着て20
人余がゴムボートに乗り込む。急流、激流の中をボートを巧みに操舵してスリル
満点。そして滝壺目掛けて突っ込んだ、3~4回と。悲鳴を上げ、全身びしょ濡
れの15分余。このアルゼンチン側とサンパウロ側の滝の見学は各約2時間余を
楽しんだ。この夜のオプションナルツアーの南米ダンスショーを申し込んでいた
が、参加者少なく取りやめに。滝を空から眺める明日のヘリコプターツアーはキ
ャンセルした。イグアスの滝は現地の年輩日本人によるガイド説明による。
ブラジル側をバスで移動中、窓外を観察。多くの電柱が少し傾いていた。
電線、通信ケーブルが蜘蛛の巣のように乱雑に敷設されている。
この辺りだけ?! また、地面、土がレンガ色のような赤い赤土。
5日目:14日、移動日。11時まではヘリコプターオプショナルツアータイム
、参加者のみ対象。11時半全員がホテルを出発し、バスでイグアス空港へ。
イグアス空港15時発、17時前サンパウロ空港着。19時サンパウロ空港発、
22時半リマ空港着、バスで0時過ぎにリマのホテル着。
6日目:15日、リマからマチュピチュに向かう移動日+αリマ市内観光。
モーニングコール6:20。ホテル8時出発。首都のリマ市街観光散策へ。
1時間半のリマ歴史地区観光、アルマス広場、カテドラル、大統領府、サンフラ

クスコ大聖堂
背後の石垣は緻密な石組(チップを払い撮影)

ンシスコ教会の世界遺産観光。12時過ぎ、リマ空港からクスコに向かい13時
半に着。3500mの高地故に少し寒く空気も薄い。クスコ市内観光散策1時間
余。世界遺産のアルマス広場、12角の石、サントドミンゴ教会、カテドラル
(大聖堂)。次にバスでマチュピチュに向かう列車のオリャンタイタンポへ。
20時過ぎ、オリャンタイタンポ発、列車でマチュピチュへ、2時間近く所要。
21時過ぎマチュピチュ村のホテルへ投宿。スーツケースは先のクスコに預け、
2泊分の荷物を持ってマチュピチュ観光へ出向く。
7日目:16日、6:15モーニングコール。7:45ホテル出発。中型バスが
ピストン運転で標高2400mのマチュピチュ遺跡まで運ぶ、約30分。
午前・午後、日本語ガイドの案内で遺跡観光。

写真 A
元々は屋根があった
修復出来ずに残る遺跡の原形
コンドルの神殿
リャマ

日本留学経験のある現地人ガイド+2名の補助ガイド付き。
天候、気温は申し分なく遺跡観光を十分に堪能した。この遺跡は山を崩して造っ
たという。当時の人間の技、力量に感心するもの。

ツアー参加メンバー( 右端は現地人ツア-ガイドさん)

マチュピチュ遺跡を見下ろす写真Aの背後に尖った山が見える。よく観るとその
山の頂点近く下にも遺跡の小さな石の築堤が見える。マチュピチュ遺跡はこの様
な山を崩して開拓して造った遺跡と言う。高所にある遺跡内の一ヶ所に小さな水
路、溝に水が流れていた。その源流は?! 夜、土産物店を巡る。
8日目:17日。帰国の移動日。3:45モーニングコール。マチュピチュホテ
ルから一気に帰国の途へ。5:00集合、弁当を持ち出発。5時半発の列車で約
2時間でオリャンタイタンポ着。列車は高い山間の峡谷の川沿いを走る。
列車の屋根には天窓があり、岩壁が間近に迫る。自然の中を揺れながら走る。
次にバスで2時間クスコへ移動。空港で預けたスーツケースを受け取り、身なり
を空港の一角で整え、クスコ発12時半の飛行機でリマまで約1時間半の飛行。
リマ発17時半の飛行機でメキシコシティへ約5時間、23時前に着。
9日目:18日、0時半のアエロメヒコ航空で成田へ向かう帰途へ約15時間。
10日目:19日、成田空港日本時間の7時頃着。シャトルバスで羽田空港へ移
動、約70分。羽田空港11:30のJAL115便で大阪空港へ12時35分
着。リムジンバスで新大阪駅へ。我が家に15時30分頃無事着。
リムジンバスを降りてJR新大阪駅に向かう途上、スーツケースが無いことに気
付き、バス降り場へ戻る。健忘症を大いに発揮した旅であった、順調に歳を重ね
ていることを痛感。ただ、病的なものか、一時的なものか、一時的とすれば昼夜
逆転の時差ボケの睡眠不足が起因となる?!そうあって欲しいと祈るもの。
今回の旅、天気、気候に恵まれた。日本と大きく変わらぬ気候、気温、天候に恵
まれ、良き時期に旅が出来た。但、円安の更新で円の価値の低いことを痛感。

南米の旅、日程表
■宿泊ホテル  成田 「成田エアーポートレストハウス」 前泊
        イグアス 「ピアレ タワー」  2泊
        リ マ   「シェラトン」   1泊
        マチュピチュ 「エル・マピ」  2泊

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


生活・健康

前の記事

小学校同窓会
学び

次の記事

’24大学同窓会