テニスとの出会い

昨日もテニスに興じた。若者と一緒に約3時間。基本練習を2時間、最初のスト
ローク練習で珍しく少しバテた。少し向かい風、思い切り打たなければならなか
ったから。プレーも楽しいが、チョットした会話、心の交流も楽しいもの若者と
のボールを通じての一時のご縁。このテニスとの最初の縁、出会いは?!
今から34年ほど前だったと記憶。切っ掛けは人生の交通事故の被害に遭ってか
らと思うもの。新たな人生の再出発、出会いを求めての行動だったと認識。
先ず、近江八幡の厚生年金センター(今のラ・コリーナ地)のテニススクールに
入った。全8回の有料の初心者コース。教室が終わるや3ヶ月ほどして町のテニ
ス教室が始まった。待ってましたとばかりに参加。教室が終わるや参加メンバー
が集まりクラブが出来た。それが長年在籍した能登川テニスクラブの端緒。
引っ越し後も在籍し、約30年余のご縁。現在の地に引っ越したのは2007年
1月。新たなテニスクラブの捜索を開始。大石地区にある20面の市のテニスコ
ートで練習観察、加入したいクラブを捜し、お声がけした、加入可能ですかと。
練習後、次回はXXでしましょうとなり、XXは我が自宅近くのコート。
決められた時間に向かうとどうやら集まったメンバーはファミリーのメンバー。
ご夫婦と男1人と小生。そして遅れてアベックの若者2人が参加。彼は滋賀医大
生、BMWで乗り付けた。男1人はコーチである。会話から我が元会社の同僚の
Iさんとは知り合いで同じ団地のようだ。Kファミリー、次回も一緒にとお声が
掛かったが遠慮した。親の印象は良いが水が合わないから、小生は下僕ではない
から。とても恵まれた環境の若者に協力するのははばかった、若い彼のために。
新たなクラブを捜さなければならない。能登川TCにいた頃、守山のテニスクラ
ブと親善試合を設定。あいにく当日は突然の雨で中止となったが、その試合会場
は野洲川河川敷のテニスコート。その守山TCのメンバーに加入したい旨を連絡
、指定する時刻に野洲河川敷コートに向かった。しかし、メンバーは誰もいない
。練習するメンバーは野洲のほほえみクラブメンバーのみ。ここは守山TCの本
拠地コートではなかった。小生のコート会場の思い込みの確認ミス。ただ後日に
解ったことだが、河川敷コートは対岸の栗東側にもあった。このような切っ掛け
で野洲ほほえみクラブと知り合い、縁ができた。距離的には少し遠いが野洲の今
のクラブに2007年10月正式加入。加入した当時のメンバーは日本新薬の元
社員が主体、今は構成メンバーも変わっているが当時のメンバーは今では5人。
この野洲河川敷コートでは毎日のようにクラブが、個人が練習している。
2つ3つのクラブに加入している者もいる。だからメンバー移動も良く起きる。

現在、小生は野洲の河川敷コートで毎週水曜日、気が向けば土曜日の午後、湖南
市のクラブでは土、日曜日、祭日の午前、気が向いた日に練習に参加している。
週2日は練習したいもの。運動による健康とヒューマンネットワークを求めて。
処で、この野洲ほほえみクラブは国が音頭をとる統合型地域スポーツクラブでN
PO法人組織として地域住民が運営している。全国各地に同スポーツクラブはあ
るが、野洲は県内でも積極的な活動をしていると感じるもの。子供から高齢者、
家族を含めて幅広く積極的に活動。計画的、組織的な運営で愛好者、選手を育成
し、その成果も実っている。会員は現在、約1000名。
 東京の姪にテニスを勧め、今ではやっていて良かったと言っている。正月は叶
わなかったが、春にテニスをしようと言っている。東京と滋賀、近いものだ。
専ら教わる方だが、教えもしたいものだ。30年以上前の文庫本サイズの古いテ
ニス教本、殆ど開けたことがないが見開いた。古くなった技術か知れないが、読
むと基本動作の内容は参考になるもの。トスボールの握り、足の運びと・・・。
テニスとの縁、出会い、人生の交通事故から派生?!せめてもの小さな償い?!

*)補足 やはり30年以上前のテニス教本は内容によっては古い。最新の技術
  情報は情報量が断然多いネットがベスト、自分なりに頭で咀嚼して、実践。

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