中国共産党を知る

新聞に連載されている自叙伝、その主は中国出身の評論家、石平氏、59歳。
平成19年日本国籍取得。現在、連載11回目。その長い連載の極ほんの一
部分を抜粋披瀝。 傲岸不遜な振る舞いで国際社会の秩序を揺るがす中国、
今や ”制御不能のモンスター”
 1回目:「中国共産党の正体」を見誤るな
 2回目:周辺国にも害を及ぼす習政権
 3回目:スパイ工作にたけた中国共産党
 4回目:千年腐敗・・・脱却できない宗族主義
 5回目:中韓と日本は「異質の文明」
 6回目:科拳合格者も出した富農の石家
 7回目:共産党に「収奪」される農民
 8回目:祖父が命がけで教えた「論語」
 9回目:批判するために解禁された「水滸伝」
10回目:公開処刑は古代ローマの「サーカス」
11回目:「毛主席の死」に号涙した日       連載は続いている。

連載記事

1回目:「中国共産党の正体」を見誤るな
1988年日本に来たとき、驚いた。大学図書館や古書店で求めた中国の近現
代史の本の多くが、中国共産党の主張する歴史観、そのままに書かれている。
つまり、アヘン戦争(1840~42年)以降、中国は、外国の列強と内部の反動
勢力(国民党)によって人民は抑圧され、地獄のような暮らしを強いられてき
た。疲弊しきった状況の中で共産党が立ち上がり、人民を率いて敵を打ち破り、
素晴らしい中国をつくって人民を救った・・・という解放史観、革命史観です
ね。もちろん、とんでもない間違いです。かくいう私も少年時代には、先のよ
うな近現代史観を共産党の教育によって教え込まれました。1980年に(北京)
大学へ入り、民主化運動に加わり、徐々に「真相」を知るようになったのです
が、日本へ来たら逆戻り(苦笑)。
蒋介石の国民党が「悪玉」であり、共産党は「善玉」というようなパターンが、
なぜ民主主義の日本で氾濫しているのか? 中国では禁止されている台湾や香
港で出版された本も日本では自由に手に入るのに、まるで中国共産党宣伝部の
指示そのままに従っているかのような書きぶりでした。仲間同士の殺し合い、
人民に対する多くの犯罪、周辺の少数民族に対する弾圧・・・こうした都合の
悪い事実は共産党の史観には一切ない。意図的に排除しているからです。
今だに、中国共産党に都合のいい歴史だけで構築されている。1972(昭和47)
年の日中国交正常化は日本にとってはほとんどメリットがなかったという。
 当時、中国はソ連(当時)や多くの東欧諸国と対立し、孤立を深めていたの
です。そこで中国は生き残りをかけてアメリカのニクソン(大統領)を招き、
同じ自由主義陣営の日本に近づいたのです。それなのに中国は高みに立ち、日
本に対して一方的な要求を突きつけ、”日本たたき”を続けた。日本は平身低
頭して無理難題に応じる・・・といったパタ~ンの繰り返し。私に言わせれば
正常化ではなく「不正常化」の始まりです。その間、中国は日本から資金と技
術をたっぶり受け取り、日本は失うことばかり。世にも不思議な関係ですよ。
「日中友好」もいいが、日本人は本当の中国共産党の姿を見なければなりませ
ん。

5回目:中韓と日本は「異質の文明」
同じ北東アジアで、儒教の影響を受けてきた共通点がある3つの国の「違い」
は何か、確かに同じ北東アジアに位置し、儒教の影響を受けていたり、漢字
(を基本とした言語)を使ったりするといった類似点はあるでしょうが、よく
言われるような、「同文同種の文化」「一衣帯水の地」というのは誤解でしょ
う。文明の本質で言えば、日本と中韓は「異質」と言っていいほど違いがあり
ます。 まずは、国としてのあり方の違いです。日本は明治維新によって、い
ち早く近代化を成し遂げることに成功しました。「法の支配、自由、人権、民
主主義」といった価値観を持つ法治国家となったのです。 これに対し、
中国や朝鮮半島の国(韓国、北朝鮮)はどうでしょう。平然と国際法のルール
や国家同士の約束事を無視し、権力者の意向次第で政治が左右される。
法治国家とはいえず「人治」です。
日本人は「公」を重んじるが、中韓に「公」の意識は薄い。中国では、儒教の
影響を受けた宗族(父系の血縁社会)主義の下、一族の繁栄のみを追い求めて
きたのです。歴代の王朝を見ても、漢王朝は劉氏、唐王朝は李氏・・・と、
それぞれ一族(私)の政権であり、国家などという「公」の意識はまずありま
せん。 現代の中韓でも、かつての皇帝のごとく、国家主席や大統領が「一族
の長」として絶大な権力を握り、人事や権限を独占している。利権やポストの
”甘い汁”を求めて一族の連中がぶら下がり、一族丸ごとによるケタ違いの不正
蓄財がなされる構図です。一方の日本は、「私」よりも国家、会社といった
「公」を大事にしてきました。順法精神や道徳心も高い。
10回目:公開処刑は古代ローマの「サーカス」
《社会全体が貧困にあえぎ、日々の楽しみもない。そんな暮らしの中で、人民
たちは、ひたすら毛沢東主席を称え続けた》
文化大革命(文革)当時の毛沢東が全知全能の”神様以上”の存在だったこと
はすでに述べました。人民は、そのことに対して疑問をまったく持っていなか
ったし、批判や悪口なんて想像もつかない、ありえないことでした。
農村の人民公社では毎朝、有線放送のスピーカーからまず、毛沢東を称える歌
が流される。それからニュースやお知らせ。もちろん内容は、毛沢東の指導を
褒め称えたり、感謝したりすることばかり。とにかく、「共産党の宣伝」以外
の情報がまったく入らなかったのです。《成都などの都市部では「反革命分子」
などと決めつけられた人たちの公開処刑が日常的に行われていた》
ほとんどが言いがかりや、取るに足らないことがきっかけです。それに対して、
当局が公判大会を開き、無理やり「罪」をデッチ上げるのです。僕が覚えてい
るのは、公開処刑になったあるおばあさんのこと。成都の中学に通っていたと
きです。近所でゴミ拾いなどで、かろうじて生活していたおばあさんが処刑さ
れた理由は、何と、ダイコンを毛沢東の写真が載っている新聞紙で包んだこと。
公判大会は、国慶節(建国記念日)、共産党創建の日などの前に行われます。
成都ではそんな日に数十人のもの人が処刑されました。自分の名前の上に死刑
囚を意味する赤で大きなバッテン印をつけられた看板を首からぶら下げた罪人
はトラックの荷台に乗せられ、人民たちが見守る中をゆっくりと進んでゆくの
です。見守る群衆には、恐怖心とともに、異常な興奮が巻き起こっていたよう
に思います。古代ローマ時代の為政者は、民衆をコントロールするすべとして
「パンとサーカス(娯楽)」を与えた、と言いますが、中国共産党の公開処刑
も、それと同じ効果を狙っていたのではないでしょうか。つまり、共産党に盾
突いたらこうなるぞ、という恐怖心を植え付けるとともに、閉塞した目々の暮
らしのストレスを発散させる手段、”ガス抜き”として公開処刑の殺人ショー
を行っていた。
我が一言:『短期語学留学(2004年~2012年)で5度中国に行った。首から
罪名の看板を吊し、壇上でうなだれている何名かの罪人の光景をテレビは放映
していた。その光景に驚いたのだが、過去の録画であったのであろうか?!
日本では江戸時代に市中引き回しの刑が行われていたが、同類である。』
11回目:「毛主席の死」に号涙した日
1976年9月9日、中国の最高指導者たる毛沢東が病気で、死去した。82歳。
それを聞いた瞬間、僕は、自然に涙があふれてきて、わーっと号泣しました。
天が落ちてきたとか、地球が滅亡したような衝撃です。とにかく当時の毛沢東
は、「毛主席の小戦士」だった僕にとっても、全知全能の神以上”の存在”
人民のために尽くしてくれる偉大な指導者だと信じ込んでいたからです。
 気がつくと、周囲の家からも泣き声が聞こえてくるではありませんか。一軒
だけじゃない。すべての家です。全中国の人民が共産党の宣伝や教育によって
洗脳されていました。毛沢東の死後も、僕の”洗脳”は解けなかった。後の話に
なりますが、1980年に、北京大学の哲学部に入ったとき、「毛沢東批判」
をした同じ寄宿舎の学生とつかみ合いのけんかになったことかあります。
文革が終わり、鄧小平の時代になったとき、文革への批判はむしろ奨励されま
したが、共産党や毛沢東への批判は許されなかった。だが、首都北京出身の
学生たちは「真相」を知っており、堂々と宿舎内で毛沢東批判をしていたので
す。四川省の田舎の出身だった僕とは、情報のギャップがあったし、幼いころ
からたたきこまれた教育の効果
はそれほどまでに強かったということです。
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     2014年5月 1日  傲慢と卑屈

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