ZOOM講座3

「私にかかわる見えないはたらき」 真宗佛光寺派大行寺住職 英月 師

親鸞聖人の教え、阿弥陀さま、念仏に纏わる法話である。
私は龍谷大に大変お世話になっている。カリフォルニアのバークレーに龍谷大の
浄土真宗センターがあり、そこで写経の会を活動、等で大変世話になっている。
米国に10年余住み、ビザ取得で一時帰国したら自分の意志とは反対の住職の道
へ。当初は骨を埋める予定だったアメリカ。現地で写経の会(正信偈)を催して
いる。現地の紀伊國屋書店がトークショーを企画してくれた。その内容は法話で
ある。本を書いている関係で紀伊國屋さんと付き合いがあった。迷ったが英語で
なく日本語で話すことにした。聴衆の中に目立つアフロ頭(パパイヤ鈴木の頭髪
姿)の青年が正面にいた。1時間余、最後まで聴いていた。サイン会にも現れ、
面白かった、と日本語を話した時には正直ビックリ。何故彼の足を1時間余も止
めたのか?!彼と私は食べるもの好みも年代も国籍も全く違う。が、彼の耳に話
が入り、彼を捉まえた。縁が整えば自分への呼びかけになる。これは見えない働
き、人を選ばない働きが見える形となったもの。

それがお寺であり、木像であり、絵像であり、お名号であり、南無阿弥陀仏であ
る。南無阿弥陀仏の阿は否定の無を表し、弥陀は量を表して無量となり、量るこ
とがないの意。だが実際は量ってばっかり。合格しますように、快復しますよう
にと祈り、量る。
寺に生まれて念仏の必要性を感じなかった。私がする念仏、念仏してどうなる?!
良いことがある?!志望大学に合格する?病気にならない?!そんな保証はない。
私は勘違いしていた。自分にとっての幸せを手に入れる対価としての念仏だった。
間に合っている、順境のときは不要で、困ったときの願、当時の念仏は私の都合
であった。だが念仏は私がするものではなく阿弥陀さまからの呼びかけを聴かせ
て頂くもの。
親鸞聖人が言うには、阿弥陀さまは必ず救うという働きがあり、それに名前を付
けたら阿弥陀という。煩悩に名前を付けたら私になる。親鸞聖人は摂取不捨と言
っている。更に逃げる者を追いかけ、捕まえて救うと言っている、積極的である。
私はアメリカまで逃げても捕まえられたことになり、仏様の手の上で暴れている。
逃げると言うことは阿弥陀さまに背を向け逃げること。阿弥陀さまは量ることが
ないという、逃げると言うことはどっちを向いている?!量る方に向いているこ
とになる。損か得か、好きか嫌いか、自分の都合に向き合っている。その自分の
都合は都合良く変化する。念仏を唱える、心の中で最後に ”よろしくお願いしま
す” と付け加え、量っている、自分の都合である。
合掌し念じたときに知らされるのは真実ではない自分である。真実に出会い、真
実たりえない自分を知らしめる・・・真実を知らなければ起こらない、解らない。
真実たりえない自分を知ったと言うことは真実を知らなかったら起こらないこと。
昔の仏教者の弁=本当のものがわからないと本当でないものを本当にする。※1
命の方向も同じ、どっちの方向に向いていいか分からないから、その時々の都合
でこれが自分にとって正しい、好ましい、自分にとって得するに違いない、その
時々の自分の都合を目指してしまう。
おかしな事に私はアメリカに行かなかったらお坊さんにならなかった。在留資格
が必要で自分の職業は?!宗教者としてのビザを取ることにし、一時帰国した。
出家得度してアメリカに戻った。ビザを取得する目的がなかったらお坊さんにな
らなかった。酷い話で仏さんまで自分の都合で利用してしまった。法名は釈英月、
この釈はお釈迦様の仏弟子になったという意。私は寺の娘、弟が寺を継ぐ予定で
あった。長く興味が無かったが正信偈が何て面白いのだろうと気付いた。周りは
何故教えてくれなかった?!と詰問。それまでも教えられていたが自分が聞いて
いなかった、聞く耳、関心が無かった。先のアクロ頭の青年と同様、見えない働
きがあった。その見えない働き、知識を得て教養として頭で理解するものではな
いと思っている。では体験すれば理解出来る?!でもなく知識と体験が重なった
とき見えない働きに出会うのではないか、と思っている。
次に気付かされた。教え、働きがあるって知らなかったら、そんな思いが出て来
ないな、という思いも出てこない。教えに出会っていなければ、教えを求める心
は自分から起きないと思う。
私がいくら変わろうが働きはある。阿弥陀さまは逃げ出そうが追いかけてくる。
呼び続けている。変わらないこと、それは働きがあると言うこと、阿弥陀さまの
命は行き詰まることはない。私を包む大いなる働きがあると知ることで一歩を踏
み出せるのではないか、それは念じることである。
   講義内容の一部を記しています。

*備考 「つぶやき ⇒ 一言 充実の一日 2021.5.30記事と関連」

※1類語(諺)
 ・一人虚を伝うれば万人実を伝う(一人传虚、万人传实)(一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ)
*一言
師は初めて知った。今回のZOOM講座、オンデマンドで何回も聴くことが出来る。
法話の意は難しく何度もリピート。処で昨年執り行った父親の法事、妹含む3人で行った。
その時、CDのお経に合わせて皆で読経。そして法事の時に必ず唱える聖教が正信偈。
この歳になれば、少しぐらい宙で唱えられなければいけないな!と感想。しかし今回、
師は、正信偈、その意が何て面白いと話す、文字の羅列、住職となり極めると面白い?!
尚、我が家の宗派は龍谷大、英月 師と同じ浄土真宗西本願寺派。
*関連ブログ  2020年父の法事  2020.11.20

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